漫画家・鈴木光明先生、逝去

 1952年、16歳でデビューし、戦後のストーリーマンガ界黎明期に少年、少女漫画双方で活躍、後年は後進の育成に多大なる助力をされ、少女漫画界に沢山の逸材を送りだした鈴木光明先生が、平成16年11月14日早朝、逝去されました。

今、奥様よりの葉書を読み、呆然としている状態です。

先生は1976年から16年間、東京の青山等で「少女漫画教室」を主宰なさっていたのですが、不肖、わたくしもこの教室の生徒でありまして、漫画創作の基礎に関しては、すべて先生に指南していただきました。(ちなみに、この頃の先生の著書(少女漫画入門シリーズ3作)は翻訳され、いまだにアジア各国で売られています)

現在、確定申告書類に漫画家と書いている私ですが、純粋に創作のみを日々の糧に出来ていない身でありますので、なんとかもう少し肩書きに自信が持てる様になったら、一度御挨拶に伺わねばと思っていたのですが、それより先に天に向かわれてしまいました。

…残念です。
「孝行、したい時に…」という言う言葉がふと浮かびました。
もっと早く御挨拶に行けばよかった。先生、不義理な弟子でゴメンなさい。


先生の戒名は「月の光を浴びて、阿弥陀仏になる者」という意味を持つそうです。
月を見る度、先生のコトを思い出しそうです。
そういえば、夜行性の人種が多いこの職種、太陽より月を見る機会のほうが多いですよね。

日本の漫画もアニメも、国境をこえる事が多くなりました。
現在、需要は拡大傾向ですが、モノがモノ故、一寸先は闇な所も多々あります。
どうか、我々が夜道で迷走するコト無い様、月光で夜道を照らし、見守っていて下さいまし。


創作のコト以外で思い出すのは、いつもタートルネックにジャケット、そしてベレー帽という、まさに「先生」という出立ち。そしてまだ現役の頃、仲間(作家)同士でつるんでいた時の思い出話とか、いろいろ聞かせていただいた事かなぁ。
(なかでも、赤塚(不二夫)先生のエピソードとかは、まだアタマに残っています(笑))

ふと今、先生が目の前に現れたら、私になんておっしゃるだろうかと考えてみました。
多分、「(本名)、もっと沢山書かなければ、うまくなりませんよ」…じゃないかなぁ。
ごもっともです。もうちょっと頑張らなきゃなぁ。


手塚先生とも親交のあった方ですから、今頃、向こうで再会されているんでしょうかね。

御冥福をお祈りします。合掌。


鈴木光明先生の簡単なプロフィール

作品リスト等があるファンサイト