汎用的なアイデアとオリジナリティの境界

一般的に学園都市というと、筑波とかそういうことになるが、アニメやマンガの世界でもその手のはたくさん出ている。一種の理想郷的メタファを体現させるには格好の舞台だからだ。ティーン向けで「現実臭さ」を消すためには一番手っ取り早い。(笑)
最近の作品だと、『鋼殻のレギオス』とか『とある魔術の禁書目録』がそうなるのかな?
Oklahoma City Skyline

Image via Wikipedia

(画像と本文は関係ありませんw)

かくいう私も、そういうアイデアはかなり前から持っていて、日々の生活のほぼすべてがソコだけで済んでしまうような、完璧スタンドアロンな実験都市。

ただそれは、私が怠けたせいで妄想の範囲を超えられず、それを形にしないまま今まで来てしまったので「オレアイデア」としては果てしなくダメダメな状態。作家として失格。ダメなオレ。スイマセンスイマセン、生きててスイマセン、だ。(大袈裟)

なもんだから、他にも度々「あ!やられた!先越された!」みたいなことは日常ちゃめしゴト(読みはワザとw)。昔の某番組の愛川欽也ではないけど「ハイ!消えた!」。先に使われちゃったら仕方が無い。とほほ...みたいな。(;´Д`)

でも、この「学園都市」というコミュニティ設定は、かなり一般化してきているようなので、今は逆に使ってもOKではないかと最近思うようになった。
要するに「人工知能を備えた10万馬力で空も飛べる子供型ロボット」が世に出始めたときに、自分の作品で似たような事をやったら、それは「パクリ」とか言われるだろうが、人格を持つ腕っ節が強いロボットやアンドロイドが登場人物で出る作品がここまで多くなった現在、そういう設定のロボやアンドロイドを自分の作品に出したところで「パクリ」とは言われないだろう。「オレが鈴木なのに、なんでお前の苗字も鈴木なんだ?訂正しろ!」という主張には一分の正当性も無いのと同じだ。難癖付けた方が負けって話だ。

要は、「やられて」しまったならば、さらに違う付加価値をつけて、バージョンの違うものにしたらいいのだ。だからやる。いつになるかはわからないけど、とりあえずそーゆーのやる。

と、なんで今こういう当たり前なコト書いたかと言うと、「頑張れオレ、負けるなオレ、もちょっとなんとかしろオレ」って自分への叱咤激励だ。ホントもう

なんとかせいや、正味なハナシ。
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